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小説 クロスオーバー


☆☆☆小説 クロスオーバー☆☆☆
著作 by 秋野創(ペンネーム)

9章 吊り橋


 今日は気分転換に、歩深と一緒に奥多摩のキャンプ場へ来た。キャンプ場と言っても、テントに寝泊まりするのではなく、宣教師達が創設して運営している、バンガロー風の収容施設だ。バンクベッドの宿泊施設と食堂とチャペルである。質素な施設だが、奥多摩渓谷の自然の中にマッチした、落ち着いた施設だ。クリスチャンの若者や聖書に興味がある青年達が集まってきていた。
 午後、歩深と一緒に谷川の方へ散歩に出た。キャンプ場からすぐに、渓谷に沿った遊歩道に出ることができる。夏の陽射しは暑いが、木々に覆われた日陰はとても心地よい。
「ねえ、私が言った通り、いい所でしょう?」歩深が言った。
「そうだね。思ったよりも良い。キャンプ場と言ってたから、眠れるかなと、ちょっと心配だった。」里中が応えた。
「どうかしら、ここで結婚式が出来たら、素敵でしょうね?」
「結婚式?そうだね、でも、こんな田舎にお客様よべないんじゃない?一般的に言って。」何だか無意識に、自分たちのことになるのを避けている。
「あっ、吊り橋がある、行ってみようか?」そう言って、歩深の手を引いて歩き始めた。
吊り橋の真下には、カヌーが何艘か川下へ向かっている。上流の方を見ると、傾きかけた太陽の光に川面が反射して、無数のダイヤモンドを散りばめている。
「歩深さん、今の俺には、ダイヤモンドの婚約指輪は買えないけど、この無数のダイヤモンドを、僕の想いの約束として、君の心にやきつけたい。」
「ちょっとキザだけど、嬉しい。」
「汝、健やかなる時も、病める時も、汝の妻を愛するか?教会のこの結婚の誓いは、素晴らしいと思うよ。今時の人は、時が良ければ、助け合うけれど、時が悪くなれば、別れていく。こんなのは、夫婦でも無いし、家族でもない。俺は父を早く失くしたから、良い時も悪い時も支え合う家族が欲しいんだ。」
心からそう思っていた。そう言いながら、これはプロポーズの言葉になるんだろうか、自分がプロポーズしていいんだろうか、という微かな良心の痛みのようなものを感じていた。しかし、還暦を迎えた里中匡の意識は確実に薄れていって、24歳の青年の心がときめいていた。
「あら、中里さんじゃありません?」という声がかかって、振り向くと、千枝子が娘の悠子と共にいた。
思わず「ちえこ!」と出かかった声を呑み込んだ。
そして、一呼吸おいて、「里中さん、悠子さん、ご無沙汰してます。」と挨拶した。
それから、歩深をクラスメイトとして紹介した。歩深にも、里中親子を紹介すると、
名前を聞いて、すぐに悟ったようで、
「里中さんって、圭司さんが以前お世話になったドクターのご家族の方ですよね。」
娘の悠子が、うなづきながら、「ええ、父の仕事を中里さんに手伝っていただいたんです。それで、お忙しいのに、わざわざ焼香にまで来て下さって。中里さんの名字と、うちの名字が逆さまなので、すぐ覚えちゃいました。それに・・・。」
悠子が一呼吸置くと、千枝子が
「いえね、悠子が、主人のしぐさと、里中さんのしぐさとよく似ているというものですから、またお会いしたいね、って話していたんですよ。」
「いや〜、大先輩の下で仕事してたもんで、つい仕草を真似てしまったみたいで、すみません。」と頭を掻いた。
それを見て、千枝子と悠子は、顔を見合わせた。
「お茶を飲む時の仕草が、つい真似たみたいで、ご不快だったら、これからしないように気をつけようと思ってます。どうか、しましたか?」
「先ほど頭を掻かれましたよね。父は、都合が悪くなると、空を見上げながら、頭の前髪の毛を左から右上にかき上げるくせがあって。」
「偶然ですが、顔も姿も違うのに、主人がここにいるみたいで、ごめんなさい、失礼なことを言って。」と千枝子が言った。
里中は話題を変えたかったので、
「今日は、ハイキングにでも来られたのですか?」と尋ねた。
「娘に誘われて、よいお豆腐のレストランに、食事に来たついでに、近くをお散歩していたんです。」
「父が亡くなって以来、初めてのお出かけなんです。でも、ここで里中さんにお会い出来てよかったわね、お母さん。」
千枝子の心に受けた苦しみを、歩深も圭司も考えていた。しかし、千枝子も悠子も前向きに生きている姿を見て、少し慰められた。別れの挨拶をして、遊歩道を去って行く親子を見ながら二人は黙っていた。多摩川の冷たい水は、カヌーで水遊びしている人々を押し流しながら、変わることなく延々と流れていた。


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