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小説 クロスオーバー


☆☆☆小説 クロスオーバー☆☆☆
著作 by 秋野創(ペンネーム)

10章 研修医


 里中圭司も徳重歩深も、無事国家試験を通り抜け、医学部を卒業して研修医生活に入った。医師臨床研修制度は医師免許取得の者が、卒業後1年以上の実地訓練を行うために、1946年に創設された制度だが、里中(中里)が医師になった1981年頃は、大多数が大学病院の医局に入局し、医局からの指導で、他科を1年ローテーションし、1年間自分の医局で研修医の生活をおくっていた。まあ医局によって、少し違いはあったが、少なくとも2年以上の臨床研修を受けることになっていた。現在は、卒後1年目の研修を内科、救急、地域医療の3科目とし、必ずしも大学病院の医局に入局するのではなく、一定の基準を満たした、臨床研修病院でも研修を受けられるようになった。その結果、白い巨塔と言われた大学病院の研修医在籍状況は低下し、市中の臨床研修病院に研修医が集まるようになった。そして大学病院は、医師派遣能力が低下して、医師の地域偏在が、地域医療を危機におとしめるようになったため、今その是正が検討されている。
 里中圭司は、将来内科医を目指して、市中の臨床研修病院を研修の場として選んだ。歩深は小児科医になりたいと思ったことがあったが、現実的に考えて、大学病院の眼科に入局しそこから、研修のプログラムを受け入れることとした。研修医時代は忙しい。学生時代より二人の共有時間は圧倒的に少なくなった。しかし、里中は学生時代よりも、教会に行く回数が増えた。少なくとも平均、月2回ぐらいは、一人ででも行っていた。
 里中圭司と中里匡は、医師であることの他に、いくつか共通点があった。その中で最も大きなことは、父親を早く亡くしたことであった。教会に来るようになって、「天のお父さま〜」と語りかける祈りが、とても心に懐かしく、しっくりときた。写真でしか確認することのできない父親のイメージが、「天の父なる神さま」とだぶってしまうのである。
「あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋にはいりなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。・・・だから、こう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。』」(マタイによる福音書6章6、9節)
 ある日、里中は礼拝後、牧師にたずねた。「牧師先生、私は小さい頃父を亡くしてます。記憶にもない父の姿が、聖書の『天の父』の姿とだぶってしまうことがたびたびあります。しかし、私の父は、生前クリスチャンであったということは聞いておりません。聖書では、主イエスを信じる者は天国に入ることができる、と先日の礼拝で言われましたが、父はどうなのでしょうか?キリスト教のキの字も知らなかったとしたら、父は天国にはいないのではないでしょうか?」
 牧師は、里中の目をじっと見られ、牧師室にすわらせ、こうたずねられたのです。「里中さん、あなたはなぜその質問をされたのですか?」
 「私の記憶には、父の姿はほとんどありません、でも、私は父を愛しており、尊敬しており、感謝してます。もし、父が天国にいるのなら、私もそこに行きたいと思いますが、父が天国にいないのなら、そんなところに行きたくないと思ってます。」
 牧師は、しばらく目を閉じて聞いてましたが、
「ローマ人への手紙10章6、7節に、こう書かれてあります。『しかし、信仰による義はこう言います。「あなたは心の中で、だれが天に上るだろうか、と言ってはいけない。」それはキリストを引き降ろすことです。また、「だれが地の奥底に下るだろうか、と言ってはいけない。」』あなたのお父さんが、召されてどこへ行ったのかは、誰もわかりません。神さまとその人以外には。」
そして、目を開いて、里中の目をじっと見つめました。「でもお父さんがどこにいようと、今、あなたの人生にはっきり願ってらっしゃることはわかります。それは、あなたが、イエスさまを信じて天国に行かれることです。」
里中は、牧師の答えに釈然としなかった。どうしてそのような論理の飛躍が、父でもない、この牧師にわかるのだろうか?しばらく沈黙してから、「もう少しいろいろ考えてみます。」とだけ答えて、牧師室を去った。自分は、クリスチャンになれないのではないだろうか、そう思いながら。



「これらは、次に来るものの影であって、・・・」
(コロサイ人への手紙 2:17)

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