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小説 クロスオーバー


☆☆☆小説 クロスオーバー☆☆☆
著作 by 秋野創(ペンネーム)

13章 クロスオーバー


 彼は、診断が下った夜、調べに調べて、考えに考えた結果、3つの覚悟を決めた。一つ目は、自分の死を受け入れることである。自覚症状が乏しいから、現実離れしている気もするが、これだけの客観的な情報がそろっていれば、まちがいなく、自分のカウントダウンははじまっているのだ。
 第2番目の決断は、洗礼を受けて、キリスト信者になることである。これは、死を宣告されたから、そのようにしようと思ったのではなかった。今まで、フミとつきあって教会へ行くようになり、牧師のメッセージを聞き、また信仰の体験をしながら、自然に導かれた結論であった。理屈では説明ができない。しかし、確かに神はおられる。自分の魂の中は、罪で汚れており、そのままでは神の国に入ることはできない。イエスキリストの十字架の贖罪によってのみが、天国への道である。それを、信じること以外に救いの道はない。

「まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、はいることはできません。」(聖書 マルコによる福音書 10:15)

 第3の決断は、フミと婚約を解消することである。正式には婚約はしていなかったが、彼はフミのことを婚約者のように思っていた。交際は清い交際だったので、婚約状態を解消することに、なんのためらいもなかった。もともと、彼女は「里中」の恋人だった。戻れない世界に落とされて、いつのまにか、フミの人格と若さに惹かれてしまったが、彼女には彼女の人生がある。一時期は苦しいかもしれないが、時間が彼女の痛みをやわらげてくれるだろう。自分が本当に、若かったら、そのような決断ができたかどうか、自信がない。しかし、彼は、いろんな人生を見て来たのだ。

 翌日、入院する前に、牧師に電話した。病気のこと、寿命のこと、信仰の導きについて話して、できれば手術前に洗礼を受けた旨申し出た。牧師は、はじめ、意外な声をあげたが、やがて、里中の話を受けとめて、すぐに会いに来ると言ってくれた。家族にも電話して、脳腫瘍で入院・手術を受けることを連絡した。病気の深刻さは、やがてわかるだろうし、手術で死ぬことはないだろうと、信じていたので、徐々にわかればよいと思っていた。
 大変なのは、フミに私の決断をどう伝えるかである。フミとの交際は、すでに里中の生活の支えであり、たいへん貴重な時間であった。それを、失うことは自分にとってもつらいし、彼女にとってもつらいだろう。しかし、彼女はすでに結婚の適齢期である。再出発をするなら、早いほうが彼女のためである。
 私自身、さびしさに耐えられるだろうか、自信はなかったが、それも、イエスさまにまかせて、「感謝します、アーメン」と言おう。いつか読んだ、信仰書の中で、「悲しい時、苦しい時、つらいときは、感謝します、アーメン」と言おうと書いてあった。

 フミは研修医生活で疲れているにもかかわらず、毎日会いに来てくれた。
里中は、交際を断ち切ることを、いつ話そうかと機会をうかがっていた。手術の2日前、彼は病床洗礼を受けた。牧師夫妻と少数の教会の友人とフミの立ち会いのもとに洗礼を受けた。フミは、その日一日オフをとっていた。それで、洗礼のお祝いにと、主治医を説得して最後のデートの外出をした。
 フミは、最近の表情の中で、一番嬉しそうだった。何か、彼女自身もひとつ壁をつきやぶったような清々しさがあり、以前のような快活さが戻ってきた。
「さて、どこに行こうか?」里中がたずねると 「今日は、全面的に、あなたの好みにまかすわ。どんな安い店でもいいわよ。」と彼女が答えた。
どうも、里中の好みは、庶民の味らしい。お嬢様のフミにとっては今一なのかもしれない。そう、思うとクスリと笑ってしまった。
「今日は、私のお祝いだから、眼球が飛び出るようなお店に行こう、もちろん、君のおごりでね!」里中は自然に応じた。
そして、こってりのラーメンを食べたくなったので、
「新宿の武蔵ラーメンを食べに行ってもいいかな?」と聞くと
「かなり高そうね、ワンコインでもおつりがくるんじゃない?」と彼女が答えた。
二人はJRの改札を出て、西口方向に広場を横切っていると、
前から、誰かが斜めに横切ってきて、フミとぶつかりそうになったので、里中はとっさに身体を入れ替えた。しかし、その男を避けることはできず、はねとばされて、二人とも転んでしまった。


「これらは、次に来るものの影であって、・・・」
(コロサイ人への手紙 2:17)

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