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今月のメッセージ

わがたましいよ。主をほめたたえよ。
主の良くして下さったことを何一つ忘れるな。
詩篇 103:2


キリストの愛
人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように。エペソ3章19節


 十字架につけられて死んだはずのキリストが、今、生きておられるのです 。不思議なことです。パウロは、そのキリストに、「愛されている」と知ったのです。不思議なことです。理屈では考えられないことです。だからパウロは、「人知をはるかに超えた」と言ったのです。 パウロだけでなく、私たちも、キリストが、今、生きておられることを知りました。不思議なことです。 そして、私たちもまた、キリストに、愛されていることがわかりました。キリストが、十字架におかかりになったのは、私の為であったと知りました。不思議なことです。
 このことは、考えていて、ついにわかると言ったことではありません。勉強したり、研究したりして、納得のいくことでもありません。人間の知恵ではないのです。天的なひらめきにより、ふと心が変えられることによって、わかることなのです。しかも、そのことが分かった時から、人格と生き方とに、大きな変化が起こったというような、分かり方です。不思議なことです。まさに、人知をはるかに超えた出来事と、言わねばなりません。この事を、「聖霊の働き」と言うのです。
 キリストが、私を愛していてくださるなら、私はもう孤独ではありません。一人に耐えることができます。キリストが、私を愛していてくださるなら、生活がどんなに苦しくとも、つぶやくことは致しますまい。考えてみれば、いつのまにか、つぶやくことを忘れていました。キリストが私を愛していてくださるなら、馬鹿にされようと、無視されようと、 損害をうけようと、もはや何でもありません。ましてそれが、神様の御旨とあれば、何でも感謝して、お受けしていくことができるのです。それが、せめてもの、キリストの愛への応答であり、キリストへの愛であるのです。


金田福一「福音は語られているか」より



2016年10月23日 礼拝 ルカ17:11−19

牧師
門戸聖書教会 徳永大 牧師


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