C. S. Lewis
☆☆☆善と悪・・・そして宇宙の意味について (C. S. Lewis)☆☆☆
C. S. Lewis(CSルイス)は、続けて、そのような、善悪の法則が「自然法」と呼ばれて来たことを語っています。そして、その自然法が、実在することを、論証しています。「キリスト教の世界」(CSルイス著・鈴木秀夫訳 大明堂 昭和52年12月10日発行) から引用してみましょう。(注【】は私の注釈です。原文にはありません。)
『
【法則と人間】
いいかえれば、それぞれの人は常にいくつもの種類の法則に従属しているけれども、そのなかにただ一つだけ、従うか否か自由な法則があるということです。一つの物体として、人間は重力の法則に支配されており、それからのがれることはできません。空中に放り出されたなら、落ちるしかないのは、石と同然です。有機体としての人間がいろいろな生物学的法則に従っているのも、動物と変るところがありません。人間は、ほかの存在と共存している法則だけは無視することができません。しかし、人間の本性だけに特有な法則は、他の動植物や無機物に共有しないもので、それだけは、もし欲するならば、従わないということもあるのです。
【自然法】
この法則は「自然法」と呼ばれましたが、それはすべての人が自然に知るものであって、教えられる必要がないものであることによっています。もちろん、あちこちに、その自然の法を知らない人々がいないのではないのですが、 それは、色を識別できなかったり、音程がとれない人々がいるのと同じです。でも、人類全体としてみれば、良き行為についての人間の考え(自然法)は、すべての人に共通していると考えるわけです。
【自然法の実在】
そしてその考えは正しいと思います。もしそうでなかったら、たとえば、われわれが戦争について議論したことは、すべて無意味だったということになります。もし、正義というものが実在するものではないとし、また、われわれが 遂行しようとしたその正義を、ナチスもまた心の底に持っていると考えたのでなければ、われわれの敵であったナチスに向って非難を投げかけることは無意味な行為であったことになります。もし、われわれが正義と思うものを相手が持っていないと考え、それでも戦いを続けんとするならば、それは、髪の毛の色が違うといって相手を攻撃していたのと同じことになります。
【自然法の実在に関する議論#1】
「自然法」なり、良き行為なりというものが人類共通であるというのは適当でないという人のいることも知っています。文明が異なり、年齢が違えばまた、まったく別の道徳があるというわけです。でも、それは正しくありません。たしかにそれらの間に道徳の違いはありますが、決して、全体としての違いにまでは達していないのです。古代エジプト人、バビロニア人、インド人、中国 人、ギリシャ人、ローマ人等々の道徳律を比較してみる人がいるとしたならば、それらが皆たがいに似ており、しかもまだ、われわれの道徳律とも似ていることに、むしろ衝撃を受けるほどでしょう。具体的な事実については、私の『人間の廃止(The Abolition of Man)』という書物の末尾に集録しておきましたが、ここでは「全体としての違い」が、なにをいわんとするのかおわかりいただければ、それで十分です。
【自然法の実在に関する議論#2】
戦場において脱走することが賞讃されるような国、あるいは、親しかったすべての人々を裏切ることに誇りを感ずるような国というものを想像してみてく ださい。それは、2プラス2が5であるような国を想像してみるのと同じである ことがおわかりでしょう。利己的であってはならない対象が、自分の家庭に対 してであるか、国民に対してであるか、あるいは、全人類に対してであるの か、ということについては、異なっていたかも知れません。でも、自分を優先 させてはいけないということについては、そのいずれの場合にも、共通してお りました。利己主義というものが良しとせられたことは、かつてありません。 妻は一人であるべきか、四人であるべきかということについての考えの違いは ありましたが、好きなだけ持って良いということにはならないという点では、 常に、一致しておりました。
【自然法の実在に関する議論#3 & 結論】
また、注目すべき点は、次のことです。たとえ、いったんは、真の「善」と 真の「悪」を信じないと言ったという人がいたとしても、たちまちにしてまた ひるがえってもとにもどってくるという事実です。ある人があなたとの約束を 破ったとしましょう。だが、あなたがその人との約束を破ろうとすれば、ただ ちに、「けしからぬ」というでしょう。ある一つの国がそもそも条約などとい うものは無効だといって守らないことがありますが、その時、無効とする条約 が「公正」なものではなかったという理由づけをおこないます。しかし、も し、条約が正当でない故に無効であり、真の「善」と真の「悪」がないとする ならば、すなわち「自然法」がないとするならば、そもそも、公正な条約も、 不公正な条約もないということになってしまいます。つまり、そういうことに よってその国家もまた、他と同じように「自然法」というものを知っていると いうことを告白してしまったことになるのではないでしょうか。このようにし て、われわれは、真の「善」と真の「悪」というものを信じざるを得ないよう にみえます。善と悪とをまちがえることはあります。でもそれは、算術の計算 をまちがえるようなものであり、善と悪とについての見解の相違といったレベ ルの問題ではありません。
』
CSルイス その2 に続く
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