HOME
聖書の学び
CSルイスの弁証
証し
EMF
聖書通読
門戸聖書教会
子どもの英語
讃美
テニス
小説
リンク
更新情報

C. S. Lewis

☆☆☆善と悪・・・そして宇宙の意味について (C. S. Lewis)☆☆☆


C. S. Lewis の "Mere Christianity"において、C. S. Lewisは、長い議論のまとめの部分に入ってきます。「人間の本性の法則」が「自然の法則」と違うことを論証し、「人間の本性の法則」の背後に実在するものがあること、それは、科学とは全く異なる者で、科学によって認識されないものであることを述べています。「キリスト教の世界」(CSルイス著・鈴木秀夫訳 大明堂 昭和52年12月10日発行) から引用してみましょう。

『 4.法則の背後にあるもの
 ここまで述べてきたことを要約してみましょう。木や石といったたぐいの場合には、自然の法則といっても、ただそれは、一つの表現の方法にすぎないということです。自然が法則によって支配されていると言った時、それは、自然が実際にある一定の仕方で動いているということを示しているにすぎません。法則というものも、われわれが観察する事実以上のなにものでもありません。しかし、人間の場合には違います。「人間の本性の法則」あるいは、「善と悪との法則」は、人間の現実の行動をなにか越えたものであります。この場合には、現実の事実のほかに、なにか真の法則があり、それは、われわれが作り出したものではなく、そして、それに従わねばならないということを、われわれ自身が知っているものです。
 このことが、われわれの住んでいる宇宙とどういう関わりがあるか考察してみたいと思います。人間は昔から、この宇宙というものが何であり、いかにして存在に至ったかと考えつづけてきました。非常に大雑把にいって、二つの考えがあったといえるでしょう。
 第1は、いわば唯物論的というべきものです。この考えに立つ人は、物質や空間は、たまたま在るものであり、また、在り続けてきたものだと考えます。その理由は、だれもわかりません。物質は一定の仕方で動いており、たまたま偶然のチャンスによって、われわれのように思考し得る物が作られたというわけです。千に一度の機会で、なにかが太陽を打って惑星を生じ、また別の1000分の1の機会によって生命に必要な化学物質や、適当な温度が、その惑星の1つの上に、かもし出され、地球の上に生命が発生し、長い偶然の積み重ねによって、われわれのような生命体ができあがったというわけです。
 一方、もう1つの観点は、宗教的なものといえましょう。それは、宇宙の背後にはなににもまして、意思というべきものがあるという考えです。それは、ある意識を持ったものであり、目的を持ったものであり、あることを他のことより良しとするものであります。この考えによれば、その意思が宇宙を創ったのであり、その目的は、われわれには知らされていないところもありますが、でも多分、同じような意思を持つ存在を創ることにもなったのでしょう。
 この2つの考え方のうち、一方が昔からあったものであり、他方は、次第にできあがってきたものとは考えられません。人々が思索をする時には、常にこの2つの考えが現われておりました。また、次のことにも注意してください通常的な意味における科学からみて、どちらが正しい、ということもないのです。科学的な発言というものは、どんなにむずかしいようにみえても、結局、「1月15日、午前2時30分に、天空の、これこれの部分を望遠境でみたところ、これこれのことが観測された」あるいは「皿の上に、この物質を置いて、この温度で熱した時に、こうなった」ということを、言っているにすぎません。私が、科学を批判しているとは、おとりにならないで下さい。ただ私は、科学とは、いかなる仕事をするものであるかといっているにすぎません。秀れて科学的である人ほど、この言い方に同意されると信じます。そして、またそれは、非常に有用かつ必要な仕事であるわけです。でも、そもそも、どうして、すべてのものがそこにあるのか、あるいは、科学が観察している事物の背後に、なにか別のものがあるのかどうかというような質問は、科学ではないのです。
 もし、「何か背後にあるもの」があるとすれば、それは人間にまったく認識されないか、あるいは、なにかほかの方法で知らされるということになります。そして、そもそも、そのようなものがあるのか、そのようなものがないのかという質問は、いずれにしても科学ではないのです。そしてまた、真の科学者というのは、通常、そのような問いは発しないものです。そういうことをするのは、科学の教科書から未熟で硬い、断片的な知識をひろいあげて議論するジャーナリストや通俗作家であることが多いのです。でも要するに、まったく常識の問題です。仮に、科学が完璧になり、宇宙のすみずみまで知りつくしたとしましょう。でも、その時でも、「なぜ宇宙はあるのか」、「なぜ宇宙は続いているのか」、「宇宙にいかなる意味があるのか」という疑問が、いぜんとして残っているであろうことは、明らかではないでしょうか。』

CSルイス その9 に続く

CSルイス その7 に戻る

Copyright (C) maccha
All Rights Reserved.
inserted by FC2 system