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C. S. Lewis

☆☆☆善と悪・・・そして宇宙の意味について (C. S. Lewis)☆☆☆


C. S. Lewis の "Mere Christianity"において、C. S. Lewisの語りかけに耳を傾けてみます。「キリスト教の世界」(CSルイス著・鈴木秀夫訳 大明堂 昭和52年12月10日発行) から引用してみましょう。

『 さて、次のことがなけれぱ、希望がありません。それは、宇宙のなかには、われわれが外側から知り得ることのほかに、さらに、もっと知っているものがたった一つだけあるということです。それは人であります。われわれは人を観察するだけでなく、われわれ自身がその人であります。つまりこの場合、われわれは内側の情報を持っております。内情に通じているわけです。そして、それによって、われわれが、自分で作ったのではなく、忘れようと思っても忘れられない道徳律のもとにあって、従わねばならないということを知っているのです。次の点に注意して下さい。人間というものを、電気やキャベツのように、まったく外側からだけ観察し、人間の言語を知らないために人間の内側の知識を持たず、われわれの行為だけを観察するとしたならば、われわれがこの道徳律というものを持っているということに、少しも気が付くことがないでしょう。それは当然です。観察は、実際におこなわれたことに限られます。道徳律は、われわれがおこなわなけれぱならないことにっいてのものです。同様にして、石や天気について、もし観察された事実以外のことがあったとしても、外からの観察で、それを発見することは望み得ません。

 問題は次のようになります。宇宙というものが、いまこのようにあるのは、まったく理由もなくそうであるのか、あるいは、その背後にある力があって、そのようにさせているのか、ということをわれわれは知りたいのです。その力というものが、もし存在するとするならば、それは観測される諸事実のうちの一つであるのではなく、その諸事実を作り出しているある実在であって、たんなる事実の観察ではそれを見出すことはできないはずですだが、ただ一つだけ、事実以上のなにものかあるのを知ることができるケースがあります。それは、われわれ自身のケースです。別の言い方をしてみましょう。もし、宇宙の外に一つの力があるならば、それは宇宙の内側の事実の一つとして見えるはずはありません。建築家それ自身が、壁であったり、階段であったり、暖炉であったりすることがないのと同じです。ただ一つ、そのものを示しているとみられるのはわれわれの内にあって、ある特定のしかたで行動するように働きかけているものです。また、実際にそれをわれわれは自分のなかに持っています。これに疑念を持たれるかも知れません。でも答えがあるとするならば一つしかありません。「然り」というだけです。答えが得られないとしたならなぜ得られないのか、おわかりのはずです。



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