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D. M. Lloyd-Jones 「山上の説教」 by D. M. Lloyd-Jones (1899-1981)

序論

☆☆☆8.キリストの福音には生きた力がある ☆☆☆


『 この点を強調するために、しばらく前に読んだ話を引用したい。以前、インドに、アムベドカル博士という立派な法務大臣がいた。彼自身賤民の出であり、インドの賤民の指導者であった。彼が仏教の教えに深い関心をいだくようになった丁度その頃、セイロンで開かれた27カ国による大きな会合に出席した。それは仏教徒の国際交流を正式に始めるための会合であった。その会合に彼が出席した主な理由は、仏教がどの程度生きたものであるかを知ることであった。彼はこの席でこう言った。「私は仏教と言う宗教が、この国の民に関する限り、どの程度生きた力を持っているかを見るためにここにやってきました」。この賤民の指導者は、仏教に転向しようと思って、それを研究していたのである。彼は言った。「私は、仏教は生きているかどうか知りたいと思う。仏教は私の同胞である賤民の群れに与える何かを持っているであろうか。そのうちに生きた力を持っているであろうか。それは人を高めることのできるものであろうか」。この有能で学識のある人物の悲惨は、彼が以前長い間、アメリカとイギリスにいたことであり、そこでキリスト教を学んだということであった。彼が、仏教に転向しようとしていたのは、キリスト教は生きたものではないことを見出し、その中に生きた力を見ることができなかったためであった。彼はその時はまだ仏教を受け入れていなかったが、これが自分の待望している力であるかどうか知ろうと求めていたのである。この話は、あなたや私への挑戦である。私たちは、仏教が彼への回答でないことを知っている。私たちは、神の御子がこの世に来臨し、ご自身の聖霊を私たちのうちに遣わしたことを信じていると主張する。聖霊は神の御子ご自身の絶対的な力であり、人々のうちに住み、キリストご自身の生活と似た生活を人々に送らせてくださる。キリストは来た。そして生活し、死に、よみがえった。キリストはさらに、あなたや私が山上の説教の生活を生きることができるように、聖霊をつかわしてくださった。
 山上の説教は、私たちと無関係だと言ってはならない。それどころか、私たちと切っても切れない関係がある。もし私達全員が、山上の説教の生活をしていれば、人々はキリストの福音には生きた力があることを知るであろう。彼らはキリストの福音が生きたものであることを知り、他の何物にも求めに行かないである。彼らは、「ここに生きた力がある」と言う。教会の歴史を読むと、真の信仰復興が起こったのは、いつも人々がこの山上の説教を真剣に受け取り、その光のもとで自分自身の 姿に直面したときであったことがわかる。世は本当のキリスト者を見ると、自ら罪のあることを感じるばかりではない。心を奪われ、引き寄せられる。それゆえ、私たちのあるべき姿を明らかにしてくれるこの山上の説教を、注意深く学ぼうではないか。自分はどのようなものになることができるかを知るために、これを考察しようではないか。それは、この説教が命令だけを語っているのではないからである。それは、この力の源、供給源をもさしめしている。神よ、私達に恵みを与え、それによって私たちが山上の説教を、真剣に、率直に、祈り深く直面できるようにして下さい。そしてついにはその生きた実例、その輝かしい教えの実証者となることができるようにしてください。』

2章 展望と分析 に続く

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