HOME
今月のメッセージ
証し
聖書通読
【素敵な教会】
門戸聖書教会
福岡聖書教会
聖蹟めぐみ教会
【子供の部屋】
ロゴスキッズ
こどもクリスマス
Teensゴゴタナ
ロゴスクリスマス
【学びの部屋】
聖書の学び
CSルイスの弁証
山上の説教
ロイドジョーンズ伝記より
【教会の働き】
EMF
宣教への思い
結婚式
洗礼式
【趣味の部屋】
讃美
旅の石
テニス
テニスモンド
囲碁
映画鑑賞
小説
【情報の部屋】
リンク
更新情報

聖蹟めぐみキリスト教会 最終礼拝

2018年3月25日
1990年4月1日に開拓伝道としてはじめられた聖蹟めぐみキリスト教会は
2018年3月25日の最終礼拝をもって、閉鎖することとなりました。  

過去の神さまの恵みを振り返り、これからの神さまの導きを求めて、教会員を
はじめ、いままで教会の宣教にかかわってくださった方々が、新しい出発が 
できるような礼拝をもちました。                    

Seiseki Megumi Christ Church
Information on the Final Worship Service
The Seiseki Megumi Christ Church, which began as a pioneering evangelism on April 1, 1990,
will be closed after the final worship service on March 25, 2018.

Looking back on the God's grace of past, seeking guidance from God in the future,
people wishing to have a new departure, such as members of the Church,
who had been involved in the missions of the Church, hope to have a new departure.

T. Kawasuso 讃美歌21:226耀く日を仰ぐとき
 

Your browser does not support the audio element.

Your browser does not support the audio element.

Your browser does not support the audio element.

Your browser does not support the audio element.

Your browser does not support the audio element.

Your browser does not support the audio element.

Your browser does not support the audio element.

Your browser does not support the audio element.

Your browser does not support the audio element.

Your browser does not support the audio element.

Your browser does not support the audio element.

Your browser does not support the audio element.

Your browser does not support the audio element.

Your browser does not support the audio element.

証し 松岡ちひろ
 サウスカロライナ州のコロンビアの神学校で ビンデワルド夫妻と デビー姉と日本の宣教のために ともに祈りました。それから3年後 センド国際宣教団を通して来日し、日本語を学びました。
 私たちの家族は、帰国後 一年間、夫の実家のある松山で準備して、1990年4月より、聖蹟桜ヶ丘の家で礼拝を始めました。はじめ会堂がなく、多摩市の健康センターの一室を、桜読書会という名前で借り礼拝をしました。やがて、駅前の川崎街道沿いのビルの1階を借り、聖蹟めぐみ キリスト教会という看板を掲げて、礼拝を始めました。
 ビンデ ワールド 宣教師の英会話クラスを通して、救われた中澤姉は、その後、教会の中心メンバーとなり、教会会計を中心に長い間、本当に忠実に教会を支えてくださいました。
 デビー宣教師は色々な方と友達になる賜物がありました。聖蹟桜ヶ丘駅前の派出所の方々にも、教会案内を配ったおかげで、名古屋教会の牧師から、駅の反対側の教会へ紹介されて上京してきた、電気通信大学の学生の保手浜さんがいました。駅前の派出所で、道を尋ねると、警察官が聖蹟めぐみキリスト教会を教えたのがきっかけで、礼拝に参加するようになり、信仰告白に導かれ、就職して、名古屋に帰るまで、礼拝を共にしました。
 また信仰生活の長い三木姉を加えてくださったことも感謝でした。 三木姉は、牧師夫人であったお母様が、近くの施設に入居中だったため、家の近くの教会で礼拝を守りたいという希望で、礼拝に出席してくださるようになりました。信仰生活の短い者が多かった群に、三木姉の存在は、私には信仰の先輩として、多くのことを教えられ、助けていただきました。
 牧師やその妻がどのように主に仕えるのかよくわからなかった者でしたが、八王子 キリスト福音教会の荒井先生ご夫妻が、教会に 献身的に使えておられる姿を通して、教会に仕えることを学びました。
 ヨハネの福音書6:27 なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。それこそ、人の子があなたがたに与えるものです。
 このみことばは夫が献身したいと言い出した当時、夫の献身に対して否定的だった私への、神様からのメッセージでした。自分の信仰や行動に自信がなく、失敗の多い者でしたが、神様は度々このみことばを通して励まし続けてくださいました。世俗的になりやすい私に、永遠のいのち、キリストにあるいのちを思い出させてくださいました。
 これまで多くの方々に支えられて、教会生活をおくることができました。ありがとうございました。

中澤茂子 証し

 駅前の大通りにあった教会が今の場所に移ったのは、私が教会へ通い始めて11~12年ほど経った頃と思います。それまでは人がいなくて開かなかった教会も連絡をしておけば、いつでもちひろさんが開けてくれて誰でも気軽に話しに出かけられ、教会が身近な場所に感じられる様になりました。
 教会の群れは初めの頃に比べ小さくはなりましたが、それでも、この頃教会の会計の奉仕をしていた私は、日々教会を導かれる主を感じ、又決算月には決まって教会の必要を満たして下さる主がいる事を覚えいつも感謝でした。
こんな中で、私は教会にも慣れて、礼拝に通うことが楽しみでした。週の半ばに少々嫌なことがあっても、賛美歌を口づさみ、歌に元気をもらい、自転車を漕いで教会へ向かい、それから礼拝を終えて帰るときは、いつも心が晴れやかになり、なんだか無性に嬉しい気持ちになった事を思い出します。日常で起こる大体の心配事は、こうして礼拝に出る事で解消しましたが、時には一人で解決できない問題もありました。その一つは母のことで、もう一つは自分の事ですが、この事についても少しお証したいと思います。
 当時長野に住んでいた母は74歳で労作性狭心症と診断され東京で診察をするため私の家に来ていましたが、手術をしなければ明日の命も保証はないと言われ不安で胸が一杯でした。そんな時教会ではみんなが相談に乗って下さり、何度も母の為に祈り、一緒に来ていた父の為にも共に祈ってくれました。この事で私達家族は、どれ程心が安らぎ、勇気付けられたか知れません。そして私も御心ならば手術への道が開かれる様にと祈りつつ…そして道は開かれ、あれから17年経ちましたが現在も母は元気でいます。この事から私は、教会が神にあって一つの家族であり、また祈りの中には必ず主がいて下さり、その祈りを聞いて下さる事を教えられました。
「マタイ 18:20 ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」と書いてある通りです。

 もう一つは私が離婚を考えた時の事ですが…この時私は家の一大事でどうしたら良いのか分からず、何度も先生に相談しました。でも先生は、話す度に「中沢さん神様は何度まで許せとおっしゃいましたか?」(マタイ18:21ー22)というだけでした。しかし主人に聖書の学びをする事を提案して下さり、それから主人は牧師が変わるまで松岡先生と、月一回の割合で聖書を学び特別礼拝などにも参加する様になりました。これを機に私達は、家でも二人でよく話をする様になり、又聖書を読んだり、神様の恵みについて考えたり、祈ったりする事が多くなりました。
 今私たちが、こうして同じ方向を向いて前に進めるのは、この出来事があったからです。神様は私達を練り直し、作り変えて下さった。だからこれからも主と共に歩むことが私達にとって一番良いことと思っています。さらに聖書の言葉は真実であり、人生の指針は聖書に置くべきである事を改めて教えられました。
最後に、聖書を一ヶ所お読みします。
「マタイ 5:16 このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」
 聖蹟めぐみキリスト教会キリスト教会で共に神様と歩んだ兄弟姉妹、そしてこの群れに私を加えて下さった神様に感謝しつつ、これからも聖書の約束を信じ、主の栄光を輝かせることができる様生きていこうと思います。

証し  鈴木桂子
 私が初めて 聖蹟めぐみ教会を訪れたのは、今から23年ほど前になります。私は神戸の教会で受洗していただいてから、夫の転勤に伴い、東京へ来ました。神戸の教会の牧師夫人のアドバイスを受け、引越し後すぐに、羽鳥明婦人の家庭集会に通うようになりました。そこで 松岡牧師の妹である諫山さんにめぐり会うことになりました。「私の兄が牧師をしている教会へ 」お誘いを受けることになりました。
 初めの頃は、毎週は、礼拝へ出席できませんでしたが、 宣教師が 、仕事を持ちながらの松岡牧師を助けている牧会はとても新鮮でした。 中国 、アメリカの方々など様々な人が出席し、グローバルな印象を受けたことを思い出します。
 その後、50歳の時、 私は乳ガンになり手術を致しました。 不思議と心の動揺は少なく、平安が与えられたのは、 神様が「行くにも帰るにも 今より とこしえまでも守られる」と み言葉で約束され いることを信じていたおかげだと思います。
 松岡ご一家が神戸へ移られることになり、 後任の牧師を探されていましたが、 見つかりませんでした。
 ある日、昨年12月に亡くなられた 森作常生先生が、礼拝に訪れてくださいました。松岡牧師もこの方に委ねたいと思われ、 お願いしたところ、森作先生はお引き受けくださいました。 森作先生は初めての牧会でした。 同時に、私もなれない役員をすることになり、 いつもお電話で、「こんなことがあったのだけど、どう思いますか」と聞かれて戸惑ったことが、多々ありました。しかし神様は、この課題を与えてくださり、 乗り越える力を与えてくださいました。 長く 義父と暮らしていましたので、 教会のご奉仕も いい加減にしかできなかったのですが、 父も亡くなり、奉仕に専念することができたことは 感謝でした。
 森作牧師のガンが見つかり、 いよいよ病状が悪化し、礼拝メッセージができなくなり、どうしたらよいのかと思っていましたら、神様はまた助けの手を差し伸べてくださいました。 多摩地区の牧師、 JECAの牧師の方々が、週替わりでご奉仕くださいました。
 小さな群れの教会ではありましたが、 私にとっては、 その距離の近いお交わりが 、とても合っていたと思います。
 神様がすべてご用意してくださったと感謝しています。
 聖蹟桜ケ丘の地に福音の種をまかれた、松岡ご夫妻の ご尽力に感謝するとともに、 集った方々が 、様々な土地で、また実を結ぶことを祈っております。

Copyright (C) maccha
All Rights Reserved.
inserted by FC2 system